19杯目:何を残し、何を排除するか。
明日は6月23日、沖縄にとって大切な日。
沖縄での地上戦が終結した日。
ちょっと前に読み終えた池上永一さんの長編小説「ヒストリア」。
沖縄の地上戦で生き延びた主人公の女性がコザで洋裁店を営んだり、軍人と色恋沙汰になったりボリビアに移民として移住したり。
とにかく悪女というのか、中島みゆきがBGMとして最適な苦難ばかり。
ちなみに表紙のチェゲバラは思ってるほどキーマンではない...と思う。
そんな小説の中で感じたのが、戦争が表現や記録の中でしか伝えられなくなる恐怖。
節目節目に主人公を鉄の雨が襲うシーンが描かれているが、これも連想するのは映画やドラマで見た見せるため恐怖。
本当の恐怖を伝えていくのは誰なのか?
生身の戦争を語れる世代が旅立っていく。
人の命には時間の限りがある。
リアルに語れる証言者が残せた平和をしっかり受け止められているのか。
それをこの現代社会に反映させ命を大切にできているのだろうか。
戦後は「命を大切に」という言葉に始まり、何かを失っても「命だけは助かった」「また出直せばいい」などの生き延びることが優先された。その時代から這い上がってきた先人たちのおかげで現代に生まれたこの世代はすでに裕福な環境でお膳立てされ「命を大切に」というよりも「人生を楽しく」のような思考回路に転換されている。
確かに、せっかく生きる人生。楽しまなくては、意味もない。
そう思うが、果たしてこの経済活動に違和感は抱かないのか。
戦争が残した悲惨さを政治に反映できているのか。
アメリカや北朝鮮と、武力に振り回されるこの国の中でこれから何ができるのか。
何を残せて、何を排除していくのか。
戦争は終結しても、人間は個人の精神の中に違う戦いを生み出したのかもしれない。
この問いに答えは出せないけれど、自然災害や人の力では避けられない苦しみには助け合って乗り越えていけばいい。
ただ、個人の中での戦いが違う誰かの命を奪ってしまったり傷つけてしまうようなニュースの中の出来事が当たり前なことに苛立ちを感じる。
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